夏目漱石(なつめそうせき)

 隣へ通う路次(ろじ)を境に植え付けたる四五本の檜(ひのき)に雲を呼んで、今やんだ五月雨(さみだれ)がまたふり出す。丸顔の人はいつか布団(ふとん)を捨てて椽(えん)より両足をぶら下げている。「あの木立(こだち)は枝を卸(おろ)した事がないと見える。梅雨(つゆ)もだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」と独(ひと)り言(ごと)のように言いながら、ふと思い出した体(てい)にて、吾(わ)が膝頭(ひざがしら)を丁々(ちょうちょう)と平手をたてに切って敲(たた)く。「脚気(かっけ)かな、脚気かな」

 物は常に変化して行く、世の中の事は常に変化する、それで孔子という概念をきめてこれを理想としてやって来たものが後にこれが間違であったということを悟(さと)るというような場合も出来て来る。こういう変化はなぜ起ったか、これは物理化学博物(はくぶつ)などの科学が進歩して物をよく見て、研究して見る。こういう科学的精神を、社会にも応用して来る。また階級もなくなる交通も便利になる、こういう色々な事情からついに今日の如き思想に変化して来たのであります。

 二階へ上(あが)って、しばらく社のものと話した後(あと)、余は口の利けない池辺君に最後の挨拶(あいさつ)をするために、階下の室(へや)へ下りて行った。そこには一人の僧が経を読んでいた。女が三四人次の間に黙って控えていた。遺骸(いがい)は白い布(ぬの)で包んでその上に池辺君の平生(ふだん)着たらしい黒紋付(くろもんつき)が掛けてあった。顔も白い晒(さら)しで隠してあった。余が枕辺近く寄って、その晒しを取(と)り除(の)けた時、僧は読経(どきょう)の声をぴたりと止(と)めた。夜半(やはん)の灯(ひ)に透(す)かして見た池辺君の顔は、常と何の変る事もなかった。刈り込んだ髯(ひげ)に交る白髪(しらが)が、忘るべからざる彼の特徴のごとくに余の眼を射た。ただ血の漲(みな)ぎらない両頬の蒼褪(あおざ)めた色が、冷たそうな無常の感じを余の胸に刻(きざ)んだだけである。

 Yは停車場(ステーション)前で買った新聞に読み耽(ふけ)ったまま一口も物を云わなかった。雨はいつの間(ま)にか強くなって、窓硝子(まどガラス)に、砕けた露(つゆ)の球(たま)のようなものが見え始めた。自分は閑静な車輛(しゃりょう)のなかで、先年英国のエドワード帝を葬(ほうぶ)った時、五千人の卒倒者を出(いだ)した事などを思い出したりした。